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うちのエルサはアスペルガー

我が家のエルサ(長女10才、アスペルガー)の日々と私がアスペルガーや発達障害について学んだことなどを綴ります。

理想の子どもの呪縛

色々書きたいことは溜まっていたのにすごく久しぶりになってしまいました。
(あらやだ、1年ぶり!!この1年の間に第三子の男子を出産していまして、うちのエルサとアナとオラフになりました☆)
毎日ブログ書いている人を尊敬します。生まれ変わる時はマメな性格に生まれ変わりたいです。


さて、自閉症スペクトラムアスペルガー)のエルサを育てていて、1番感じることが、自分の理想をことごとく裏切られる、ということでした。発達障害児の子育ての最初の1歩はまず自分の理想の子育てを手放すことなんではないかと思うほどに。


子育ての理想。
私も独身のころは、「子どもが産まれたらヨーロッパの木の玩具だけで育てるんだ―キャラクター玩具なんて買うもんか」なんてちゃんちゃらおかしいことを思っていました。ま、その理想は一瞬にしてゴジラに壊される街のごとくアンパンマンに破壊されるんですけどね。(アンパンマンでも何でも機嫌良く遊んでくれるなら何でもいいや…という心境になります。)
他にも子育てにたくさんたくさん理想がありました。毎晩寝る前には外国の絵本を読み聞かせしよう、とか…これも一瞬でも抱っこから降ろしてベッドに寝かせようもんなら火の付いたように大泣きするエルサによって打ち砕かれます。ただひたすら暗闇で抱っこして揺らす寝かしつけ…。もしくは、冷凍食品なんて絶対食べさせない手料理だけで育てるんだ!とか。どんなに手作りの料理を出しても1歳半頃のエルサは「星一徹の生まれ変わりなのかな?」と思うほど毎度の食事を全部ひっくり返し、お味噌汁の碗を壁に投げつける有様でした。こんなはずじゃなかった、そう何度思ったことでしょう。
また、自分の母親が教育ママだったこともあって、エルサが産まれてからは「私はこの子に理想なんて押し付けない、のびのび元気に育ってくれたらそれでいい」そう思っていました。

でも最近気づいたんです。「のびのび元気に」も、親の理想なんですよね。私はエルサが小学校に入学して「勉強なんて出来なくってもいい、毎日楽しく学校に行ってくれれば」って思って、理想を押し付けない母でいるつもりでした。でも結局「楽しく学校に行く子ども」を理想としていたわけです。「学校が楽しい」は絶対的な価値観では無いはずですよね。あの集団行動や規則だらけの環境が苦手な子もいるはずで、それは別に
悪いことではないはずなのに。

少し前、エルサがこんなことを言いました。
「なんでうちは週末の度に出かけるの?いつお休みすればいいの?」
そして「お休みの日はおうちでゆっくりしていたい」と。
私は衝撃でした。平日は学童に行っているので、休日はせめてもの罪滅ぼしと動物園や公園や観光スポットや色んなところに連れて行っていました。けれど家族でお弁当持って公園に行くことで「楽しい家族」をやりたかったのは私だったんだと気付かされました。私が「休日に元気に外で遊ぶ」っていう自分の中の理想の子ども(家族)を押し付けてたんだなと。家でゆっくりしたい日があるのくらい大人でも当たり前のことなのに。
エルサは受動型のアスペルガーです。だから学校では目立ちません。というより目立つことが何よりもイヤなので必死に自我を抑えています。なので学校で友達に会えるのは嬉しいけれど、すごく苦しい場所でもあるんです。 学校に行くだけですごくエネルギーを使うようなのです。だからエルサは休みの日は外に出かけるより、おうちでアニメを見たり漫画を読んだりしていたいんです。きっと平日たくさんエネルギーを使っているから。

それに加えて、エルサは「自分の知らないことや場所」がすごく苦手です。初めて行く場所、初めてすること、初めて会う人…が全部苦手です。だから「ここ行ってみようよ!」という新しい提案は大抵「嫌!」と却下され、何度も行ったことのある場所が良いと言われます。しかも「待つ」ことも苦手な彼女は、行くのに時間がかかるところも嫌、人が沢山いるところも嫌、なわけです。
私もエルサが産まれた時、憧れました。娘とふたりでショッピングをして、一緒にカフェに行ったりすることを。でもエルサはウィンドウショッピングが嫌いです。買うかどうかわからないものを見るのが楽しいとは思えないのです。買い物に行っても「まだ?あと何分?いつ帰れるの?何のためにこのお店にいるの?」とちっとも見ることが出来ません。
初めて行く場所は疲れるので、すぐ疲れてしまいます。混んでる電車で移動なんて、もってのほかです。てなわけで、随分前に「娘とウィンドウショッピング」という自分の理想は手放しました。私がしたいと思うことより、彼女が楽しいと思うことが最優先だと思ったから。

でももっと彼女の世界も広げてあげたい、という親の欲目もあるわけで。それは彼女の凸な部分の才能を開花させたい!とかではなくて、単純に彼女の「楽しい!」を増やしたいだけなのだけど。

自分の育児(子ども)の理想を手放す、って簡単なことではないし、そもそも、それが完璧な答えでもないかもしれない。(親の理想で引き上げられて、素晴らしい結果を産む場合ももちろんたくさんありますもんね)
子育てに正解なんて無い、とよく言われるように、何が良いかなんて誰にも分かりません。その時その時で「自分が信じた最善」を選択するしかないんですよね。
最後に、最近寝る前の読み聞かせで読んだ本「Wonder」に出てくる障害(顔面奇形)のある主人公オギーのママの最後のセリフを。
「ありがとう、オギー。オギーがママたちの人生にくれた、すべてのものに。うちの家族に産まれてきてくれてありがとう。そのままのあなたにありがとう。オギーは本当に奇跡。すばらしい奇跡。」

娘エルサが(もちろん次女アナ、末っ子オラフも)どんな風に育ってどんな人生を歩んだとしても、こんな風に言えるママになりたいです。

 


(最後のセリフの本はこちら。↓これの感想で1本ブログ書けるくらいだけど、それはまた後程。顔面奇形に産まれた主人公オギーの学校生活を、オギーの姉や友達など色んな目線から描かれている物語。こんなに長い小説を読み聞かせし終えたのは初めて。それくらい子ども達も引き込まれてた。すごくオススメ!)

ワンダー Wonder

ワンダー Wonder

 

 追記:もちろん子どもに理想を持つことを否定しているわけじゃありません。念のため。